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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1951-11-08 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第13号

政府委員西村熊雄君) 国がその国際関係について責任を持つておる地域という表現は、第二次世界戰争後の條約に入つてきた文句でございます。これは従来は植民地、属地、委任統治というような長い表現で現わされておりましたのを、簡單に表現するために使われる新らしい文句でございます。

西村熊雄

1951-10-31 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第7号

敗戰国の住民の強制移住というような措置は、第二次世界戰争後におきまして、日本人ドイツ人とに対してとられたわけであります。終戰当時におきまする連合国の対日本人、対ドイツ人感情がこういう措置をとらしめたものだと思います。結局勝利者の権利として、敗戰民族に対してとられた措置であると考えたらよろしかろうと思うわけであります。

西村熊雄

1951-06-02 第10回国会 衆議院 本会議 第46号

第一世界戰争後、米国大統領ウィルソンがこれを力説されたところのものであります。これこそは民主主義の原則であり、その実現の手段方法も、民主主義にのつとるものでなければなりません。これは自由を愛する民主主義国家における国際的通念であるとさえ考えられるのであります。  以上申し述べました三点を念頭にひそめて、ここに提案された決議案を考慮いたしたいと思います。  

植原悦二郎

1950-12-02 第9回国会 衆議院 外務委員会 第3号

もし侵略的な帝国主義であるならば、ソ連ほど第二次世界戰争後侵略行為をやつた帝国主義者はない、またこれほど弱い国を植民地化そうとする政策をやつている者はない、こういう立場から、伍修権の発言全部を解剖してみても、その口吻を見ても、それとほぼ歩調を一にして、中共軍が数十万北鮮に侵入して来たことを見ても、ちようど神戸から大阪、大津、京都、この日本における朝鮮人暴行事件が、波状状態をもつて進んでいることを

植原悦二郎

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

しかもこの委員会における共産党員である梨木君の誘導尋問によりまして、あなたはソ連に抑留された軍人の中でも、ちようど第一回の世界戰争後においてドイツの警官が軍隊的な訓練を受けて復興した。そういう考えを持つている元の将校がたくさん日本に来ている。そういうような証言に聞きとれましたが、これは重大な証言である。そういうことは何によつてあなたは確めてこの証言台において証言をされたか。それを聞きたい。

安部俊吾

1950-02-18 第7回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

外国の例を見ましても、ちようど第一回の世界戰争あとで、ドイツにおいて復員軍人の問題が非常に大きな問題になりまして、この復員軍人に対する取扱いを誤つたために、せつかく第一次世界戰争後、ドイツ民主政治ができたのでありますが、それがまたナチの方に行きまして全体主義なつた。要しまするのにドイツ民主政治がこわれたのは、復員軍人に対する取扱いを誤つたことが大きな原因なつたとわれわれは推察いたします。

北澤直吉

1949-11-28 第6回国会 参議院 予算委員会 第8号

というのは、これはしばしば議場においても説明いたしましたが、講和條実施監督のために、その後で以て連合国その他の兵隊が駐屯したことは、この前の第一次世界戰争後においてもあつたことであつて、今度の場合におきましても、講和條約がどういう形でできるか知りませんが、場合によりますと、その條約実施のために或る兵隊が残る。

吉田茂

1949-11-21 第6回国会 衆議院 大蔵委員会公聴会 第1号

元来勤労所得税が一般化したのは、第一次世界戰争後だろうと思うのです。そしてこれが一割ないし五分に対しても、非常に労働者は苦痛を訴えた。それが日本ではもつと高い勤労所得税がかけられたが、最近ではこの勤労所得税はなるほど次第に少しずつ軽減されている。しかしそれが間接税消費税にまわつている。これはあとでお話したいと思うのです。

永野順造

1947-10-09 第1回国会 衆議院 外務委員会 第13号

するところのフランスの帝國ブロツクというような、ブロツク的な傾向が強くなり、日本もこういう状態に對應して、結局東亞經濟ブロツクという政策にはいりこんで來たのでありまして、この世界經濟がブロツク化されたということが、今度の第二次の世界大戰の多くの原因の一つであるという認識が、戰争中から行われまして、特にアメリカにおいては今度の戰争後世界經濟に對するアメリカ責任というものが非常に論議されまして、第二次世界戰争後

永井三樹三

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